2011年04月02日

3月20日の練習

前の方と同じ練習日のブログになってしまった・・・!
私もいたんですよとアピール的な・・・すみません。。


この日は中盤から雨が降り出し・・12時頃中止となったようです
(中止になる前に失礼させてもらって。。)


途中、雨が降り出してもみなさん中断する様子もなく、それぞれのコートで試合を続行。
私も、今日はたくさんの参加で、せっかくいろんな人と試合ができるチャンスと思い

どうにか小雨でも持ちこたえてほしぃ〜と願いました。

練習でいろんな人と試合できるのっていろんなパターンがあって
ひとつづつが考えさせられることいっぱいだなぁて


改めて思った練習でした。



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2008年07月16日

昔のこと

もうすぐ8月ですね〜。

夏になるとやっぱり、夏合宿を思いだします。



青春時代ですね。





春合宿は、色んな事情があって、殺伐とすることが多かったのですが、

夏合宿は、世代交代をかねることもあってか、

全体的な雰囲気は穏やかだったような気がします。



ただ、

部内トーナメント戦なので、最終日に残れなかったら応援に専念することしかできなかったり、

プレッシャーを必要以上に感じてしまったり、

なかなかペアが見つからない子が毎年出てしまったり、

ちょっと、残酷な一面もある合宿でした。

結果を残せなかった言い訳なのか、

私は今でも夏合宿は、あんまり好きじゃないのです。



私、毎年極限まで殺伐としていた、春合宿のほうが、

好きだったんですよね。

多分、1回生のときの合宿での4回生の先輩の、

おいしんぼ的応援に、心を奪われてしまったんです。

なんか、テニスって個人戦ってイメージだったんですけど、

あの時、あの合宿に参加してから、

仲間って素晴らしいし、仲間の応援は、必ず力になることがわかったのです。




だからなんですかね。

わたし、今でも視聴率が高い団体戦のほうが燃えるのです。
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2008年04月15日

名言。

もう一つ、大学時代のサークル名言で、ずしりと響いたのが、

「知ってて何もしないのは、同罪だ。」

というありがたいお言葉です。


結局自分が悪者になりたくないために、色んな言い訳を言うのですけど、

何か問題が起きたときに、自分が何も悪くないことってのは、めったにないのですよね。


最近、その言葉に忠実に行動したところ、

大変な目にあっておりまして、

サラリーマン戦士ですからね。

All for One, One for all

ですからね。。。。。




なんのこっちゃ。


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2008年04月09日

学び屋

最近、

私がテニスをしたいと思ったらお天気が悪くて、

私がテニスができない日は、天気予報が大雨でも、晴天になったり。


ちょっと不満不満です。



最近すごく思うことがあるんですよね。

私は運が良かったのかもしれないって。


私、大学の頃入っていたテニスサークルは、今の時代、気持ち悪いぐらい厳しいサークルだったんですよ。


泣いたり、笑ったり、怒ったり、


先輩にはよく怒られたし、

同回生とはよく衝突したし、

後輩には説教したし。


会社の同期にその当時の話をしたら、

なんでそんなサークルに入ってたの?

なんて、笑われちゃうんです。


でも、貴重な体験だったんですよ。私にとって。

今思えば。


私が先輩から言われたことで、私自身もたびたび後輩に言った言葉が、

「自分の言葉や行動に責任を取りなさい」



大したサークルです。

今の時代、会社でもなかなか面と向かって言ってくれないようなことを、がつんと言ってくれるサークルでした。


指摘することは、とても大変なことで、それだけの愛情がないとできないことだということも、その当時知りました。



それなりに、社会人やってきて、

色んな人と働いてきましたが、

もしかして、私にとって、一番偉大な人は、やっぱりサークル時代の先輩だったんじゃないかって。

会社にいても、なかなか本質なことを教えてくれなかったりするので、私は、あのサークルの一員でいれて、よかったな、と思う今日この頃なのです。


つまり、最近色々あってお疲れ気味なのですよ。
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2008年03月19日

卒業

3月といえば、卒業シーズンですね。

こんな季節は、追いコンの思い出に耽ります。





追い出した追いコンも、追い出された追いコンも。





私が追い出された追いコンで、

私たちが登場すると、後輩達が、みんな号泣していた、あのシーンが、昨日のように思い出されます。



そういえば、私たちの、最後の練習も、後輩達は泣いてくれました。



色々、試行錯誤の続いた4年間ですが、最終的には、後輩達に愛された先輩になれたのでしょう。

なーんちゃって晴れ




そういえば、

今年の追いコンで、

私が4回生だった頃の1回生が、幹部だった時代に入ってきた代が卒業です。



時代はめぐりめぐりますね。

今年の追いコンでの卒業生のスピーチに、社会人らしくコメントしていた、私にとっての永遠の1回生に、

なんだかちょっと感動してしまいました。

あんなに若かったのに、もうすっかり大人になったんだな〜。

なんて。


多分、私の先輩方も、私たちを見て、同じようなことをおもうんでしょうねかわいい


随分遠いところまできたものです。

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2008年01月18日

思い出アルバム2

バルサのスタジアム。皆様と一緒に列に並んでみました。

バルサ1.JPG  バルサ2.JPG




スペインの教習。どこの世の中もおんなじです。

教習.JPG






そして、


ガウディとドメネクさんの建築物は、


写真じゃ到底その迫力は表現できておりません。。


2000倍の迫力です。





グエル別邸の門。門の竜は神話に出てくる番人だそうです。

グエル別邸1.JPG  グエル別邸3.JPG



グエル公園。


グエル公園.JPG



グエルさんは、ガウディの大ファンかつスポンサーで、

いわゆるコブクロとミノスケ社長みたいな間柄なんだと思います。



多分、2人には、たくさんの夢があって、ものすごく意気投合しちゃったんでしょうね。


もともとは高級住宅地になる予定だったグエル公園。

だけども、だれもそんなものいらなくて、

だから、グエル公園は、今グエル公園。



夢だけじゃメシは食えません。

市場のニーズに具現化することが大切です。






そんな、夢にあふれた2人とは一味違う気がしたのがドメネクさんでした。



ドメネクさんのサンパウ病院。

サンパウ.JPG



まったく、表現しきれてませんが。。。。

ここは今でも病院で、その癒しパワーは偉大でした。


しかもドメネクさんはこの病院をたった3年で完成させたらしいです(たしか)。


ちゃんと完成させ、そして今でも人の役に立つようなものを作ったドメネクさん。


なんだか、いろんなものが未完成だったガウディと比べると、ドメネクさんはとても偉かったような気がしてくるのです。


(ちなみに、郊外にコロニアグエル教会という、これまたガウディの教会があるのですが、突っ込みたくなるぐらい未完成なのです。それはそれで、感動的ではあったのですけどね。)




とはいえ、

やっぱり天才ガウディ

夜のサグラダファミリア、カサミラ、カサバトリョはとても魅惑的でした。


サクラダファミリア.JPG  カサミラ.JPG  カサバトリョ.JPG




朝一、サグラダファミリア登頂

サクラダ1.JPG  サクラダ2.JPG


ちなみにですが、ガウディの頭の中の完成図はこれです。


完成イメージ.JPG


今、塔は8本立っているのですが、完成すると塔は18本(たしか)になるらしいです。完成の日は果てしなく遠そうです。



サグラダファミリアを後にして、



ガウディの作品としてはかなり初期のもので、


ドメネクさんとガウディが協力したロベルト博士のモニュメントと、


ロベルト.JPG


カサカルベをちら見して

カルベ.JPG



ドメネクさんの最高傑作、カタルーニャ音楽堂へ。


カタルーニャ音楽堂.JPG


内部写真禁止のうえ、言葉足らずなので、到底その感動は表現仕切れませんが、


是非皆様、バルセロナを訪れる際はカタルーニャ音楽堂をお忘れなく。


ここも、今でもちゃんとコンサートホールとして使われています。いつか、ここでコンサートでも聞けたら、それはとても幸せなことだと思います。



そして、ピカソがその昔通ったというクアトロガッツ。
壁の絵も、メニューも、お皿も、その時代のピカソが書いたものです。(たしか)

クアトロガッツ.JPG クアトロガッツ2.JPG  クアトロガッズ3.JPG



カテドラル、登ってみたら夕日の時間でした。


カテドラル1.JPG  カテドラル.JPG



コロンブスは、「大陸発見したどー」報告をした王の広場

王の広場.JPG




たぶん、すごい若い頃のガウディの作品のガス灯


ガス灯.JPG



市場

市場.JPG



なぜ行ったのか思い出せない凱旋門


凱旋門.JPG








絶対中に入るべきだと思うカサバトリョ。

天才ガウディ。


わたしはいまだに魅了されています。


バトリョ1.JPG  バトリョ2.JPG





考えるウシ


考えるウシ.JPG







最後に。

カフェにて。

カフェ.JPG
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2008年01月17日

思い出アルバム

トロムソの朝食、外は真っ暗でした。

トロムソの朝食.JPG




トロムソの街、極夜でも昼過ぎはちょろっと明るくなって、そしてすぐ暗くなってしまいました。旅で定番のスーパー探索もしっかりこなしました。

昼.JPG  街.JPG  スーパー.JPG





最北端の水族館でじゃれあってみて、

スイゾッカン1.JPG  スイゾッカン2.JPG



最北端のビール工場ですが。

ビール.JPG



工場見学はせず、まん前にあるバーでビールをたしなみ、

バー.JPG




対岸に見える教会がものすごくきれいで、歩いて渡ってみました。

教会1.JPG  教会2.JPG  教会3.JPG






サーモンは無かったけども、絶品だったタラと普通だったトナカイ

トナカイ.JPG





雪が降り続けて途方に暮れたオーロラツアーと犬ぞりツアーの人たち。

オーロラ.JPG  いぬ.JPG





出発の日の朝。街は凍ってました。

木.JPG








デンマークへ移動。


張り切ってコペンハーゲンの街へ。みるものすべてがおしゃれな街でした。

電車.JPG  デンマーク1.JPG デンマーク2.JPG






考える人

考える人.JPG





とおっても良いお値段だった、最後の晩餐フルコース、の一部。

最後の晩餐.JPG





元気が出た、ホテルの朝食と癒し系のこっくさん。

ホテルの朝食.JPG









スペインへ移動。




バレンシア到着。うかれたスペイン人たちと、ギネス1幅が狭い家

マラソン.JPG ギネス.JPG 






4年前の同じ場所で、同じポーズ。

4年前.JPG





ピンチョス

ピンチョス.JPG




自分でビールをついで、テーブルごとにランキングされるバー

ba-.JPG






パエリアと地中海

パエリア.JPG  地中海.JPG






昔氾濫しすぎた川を埋め立てて作った公園。そしてはしゃぐわたしたち。

公園.JPG  おい.JPG  よし.JPG








カウントダウン花火。というか火。

花火.JPG






バレンシアの近くの米どころあたりの町並み。古い町並みが残っているようです。

ふたり.JPG  昔の家.JPG





湖クルージングに誘ってきた青年

青年.JPG







あんまりにも空がきれいで、

そら.JPG






青年も写真を取っていました。

青年とそら.JPG






白い町並みのペニスコラと青いそらと青い海

ペニスコラ1.JPG ペニスコラ3.JPG






てんこ盛りのモレ−ジャ

モレジャ.JPG




城に登った

モレジャのぼり.JPG







アルカネスのパラドールでお城ごっこ

パラドール4.JPG  パラドール3.JPG





パラドールのディナー

ディナー.JPG







タラゴナのローマ遺跡

タラゴナ.JPG






バルセロナの巻きはまた次回ですよexclamation×2
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2008年01月16日

後編

さて、

北極圏でしたか。

朝起きたら、真っ暗です。

ずっと夜の極夜の季節ですから。

ノルウェーの朝食は、しめ鯖っぽかったり、サーモンだったり、日本人には食べやすく、

さっそく観光センターに出向き、

2000円を出して、北極圏到達証明書を購入し、

夜のオーロラツアーを申し込み、

犬ぞりをオプションでつけたかったけど、Yが犬嫌いだったため、泣く泣く断念し、

最北端の水族館に行き、

最北端のビール工場の前にあるバーで昼過ぎからビールを飲み、

そういえば、極夜といえ、真昼間は少しだけあかるくなり、

街を行き交う人も少しだけ増え、

対岸の教会まで歩いて渡り、

晩御飯は、ノルウェーといえばサーモンステーキだろと思い、

いかにもサーモンステーキありそうなレストランに入ったところ、

「ウチニハナイヨ」

といわれ、

しょうがないので、トナカイとタラを頼み、

トナカイは普通だったけど、タラば絶品で、

そんな間も、雪が降り続け、

とりあえずオーロラツアーに出向き、

そしたら、私達以外は全員犬ぞりツアーで、

私達は極寒で雪が降りしきる中、2人で空を見続けて、


暇だったので、場所を移動して、

森の裏手に周り、

そこはとても静かで、

空がとても広くて、

2人でねっころがって空を見て、


そしたら、ちょっとだけ不安になって、

戻ってみたら誰もいなくて、

ガビンチョおいていかれた!!

とおもったら、犬ぞりツアーの人たちが戻ってきて、

スタッフの人たちは雪の中、空を見続けた私達を不憫に思ったのか、

私達を残して、オーロラのDVDを見せてくれて、

しかもホテルまで車で送ってくれて、

人の暖かさが心にしみて、


次の日の朝は5時に起きて空港に到着したと思ったら、

乗る予定の飛行機がなぜかキャンセルになっており、

このままではデンマークが観光できないと思い、

チェックインカウンターで男子を捕まえ

「ワタシタチデンマークイクノ。ツギノヒコウキジャコマルノ」

と必死で訴えかけたら、

なんと10分後に出発する飛行機に乗せてくれることになり、

その、男の人の誘導で、ボディチェックもダッシュで突破し、

そしたら、乗り継ぎのオスロで隠し持っていた味噌が危険物として没収され、

昼過ぎにデンマークに到着し、

半日だけのデンマーク観光するためにコペンハーゲンの街に繰り出し、

コペンハーゲンはどこもかしこもおしゃれで、

ところが、ここまできて疲労困憊で、

とても人魚の像まで行く気力がなく、

「考える人」の像に感動し、

おしゃれなミュージアムに入り、

パンを食べ、

街をふらふらして、

北欧最後の晩御飯は思い残すこと無いように豪勢に!

と思ったら、それはそれは絶品だったけど、

ワインまで飲んだら、思い残すぐらい高くて、

帰りの電車がなかなかこなくて、

ぐったりで、

朝になったら、ホテルの朝食がとっても豪華で、

Yがパンをもりもり食べていて、

オムレツも焼いてもらって、

張り切ってスペインに向かって、


そしたら、

マドリッドの空港で、私たちが到着する直前に爆破事件があり、

空港は大混乱で、

言葉は通じないし、右往左往していたら時間があっという間に過ぎて、

目的のターミナルまでタクシーで移動したらぼったくられて、

今回ばかりはもう間に合わないかとおもったら、

不安げな私たちに気づいてくれた空港の人が

テキパキとチェックイン処理をしてくれて、

間一髪で乗り継ぎの飛行機に間に合って、

バレンシアに到着して、

年末年始は色んなものがしまってしまうということで、

すぐに観光に繰り出し、

カテドラルを見て、

買い物して、

ギネス的の細長い家を見て、

街で仮装マラソン大会みたいなものが始まって、

スペインといえば、Barに入っておつまみ的なピンチョスというパンにお惣菜を乗せたようなものを食べて、

そのあと別のBarにはいって、そしたら、そこは、各テーブルにビールを注ぐ機械がついていて、電光掲示板にどのテーブルが一番飲んでいるか、ランキングが出ていて、これはとても良い案だなあ、と関心し、

さすがに次の日は少しゆっくり寝て、

スペインといえばパエリアを食べに行って、

地中海を見ながら散歩して、

その昔、氾濫しすぎた川を埋め立てて作った公園で一通り遊び、

その日は大晦日だったので、カウントダウン花火を見て、

スペインの花火は火の玉がそのままそこらじゅうにおっこってるので、おそろしいなあ、と思い、

2007年が始まって、

新年早々バレンシアの近くの米どころの町に行き、

湖をみていたら、青年が、

「ヘイカノジョ、フネノラナイカイ?」

といってきたので、

船にのり、1時間以上空をみていて、

夕暮れの空は、それはそれはとてもきれいで、

なんだか、オーロラ見れなかったことも、

ま、いいかな、と思えてきて、

次の日にはもうバレンシアを出発し、

あっちこっち小さな街に寄り道しながらバルセロナを目指して、

ペニスコラは白い町並みで

モレージャは山の上にてんこ盛りみたいになってる町のてっぺんにお城があって、

移動中はオレンジ畑とオリーブ畑だらけで、

アルカネスでパラドールに泊まり、

あっちこっちでお城ごっこをして、

朝になり、

ローマ時代のコロッセオみたいなんがあるタラゴナに向かい、

海がとても青くて、

やっとバルセロナに到着して、

とりあえず、バルサのスタジアムに向かい、

一通り写真をとって、

ロナウジーニョと3ショット写真をつくってもらい、

お土産をかって、

途中道端で、バイクの教習をやっていて、

ガウディシリーズの、

グエル別邸、

グエル公園と、

ガウディの良いライバルだったドメネクさんの

サンパウ病院を見て、


結論としては、

ドメネクはえらかった。

ガウディはすごかった。

かなあ、なんて思い、


そして、夜、ライトアップされたサグラダファミリアを見て、

チェックインしたホテルは結構衝撃的で、

カサバトリョが目の前に見えるレストランでご飯を食べようと思ったら、いっぱいいっぱいだったので、

その下のBarでタパスを食べて、正直量的にはこれぐらいでちょうどいいかなと思い、

次の日、最終日に備え、すべて見逃さないために、就寝し、

そして、

朝一

4年前からの念願で、そもそも旅の目的だった、サグラダファミリアに登り、

いろんな思いを噛み締めながら徒歩で降り、

奇跡的にガウディとドメネクさんがかかわった

ロベルト博士のモニュメントを見て、

ガウディのカサカルベをちら見して、

ドメネクさんの傑作のカタルーニャ音楽堂ツアーに参加して、

昔ピカソが通った「クアトロガッツ」でお昼を食べて、

ここが以外においしくて、

あとは、カテドラル登ったら、夕日が見れて、

王の広場に行って、

ガウディが作ったというガス灯を探しに行って、

市場に行って、

凱旋門を見に郊外に行って、

そして、カサバトリョがとてもすばらしくて、

Barで晩御飯を食べて、

考えるウシというふざけた像を見て、

最後の夜を祝福するために、夜遅くにCafeに入り、


そんなこんなで、日本に帰りました。

長い旅行でした。


別に、めんどくさくなったわけじゃないですよ。

ただ、1年以上前の旅行について、

事細かにここで、綴ることに、若干意義を見出せなくなったので、

ちょと割愛しちゃいました。
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2008年01月12日

到着

さて、

トロムソに到着しました。



飛行機の遅れにより、

ホテルに到着できたのは深夜1時過ぎです。


でも、

なにせ、北極圏です。

テンションあがりっぱなしになり、

早速スノボウェアに着替えて外に繰り出してみました。



P1030439.JPG  P1030443.JPG


トロムソという街は、北極圏最大の都市でありまして、

最北端の大学があったりして、

なかなかきれいな街なのです。


深夜にぷらぷらしていても、

若者が、飲んだくれて大騒ぎしたりもしてました。





街中で写真をとって、

雪にサインを残して、

気がついたら4時でした。。



私達は、

どこまでも無計画だったため、

北極圏までいったのに、

トロムソでの時間は2泊3日、

観光できるのは中1日。。。。


あんなに遠かったのに、、、

何考えてたんでしょうかたらーっ(汗)



とりあえず、ホテルに帰ったのが4時だろうがなんだろうが、

次の日は早朝に起きる必要があったのです。



それは、私の人生最長の1日でした。(多分)

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2007年12月28日

北極圏へ。

こんなサイトを発見しました。

http://myboo.kizasi.jp/analysis/feed.py?url=http%3A%2F%2Fcbtc.seesaa.net%2F


うーん。

ブログの趣旨とは若干ずれてる気がしますが。。






北極圏への道は、果てしなく遠かったです。

広島⇒成田⇒コペンハーゲン(デンマーク)⇒オスロ(ノルウェー)⇒トロムソ(北極圏)

と乗り継いで行きました。


しかも、

えいっexclamation×2

と飛行機を取ったので、

コペンハーゲンでの乗り継ぎ時間が1時間しかなく、

一瞬のミスも許されないタイムスケジュールでした。




旅行会社の人からも、

「保障はできませんよ・・・」

とは言われていたのですが、




まあ、そうは言っても大丈夫だろうかわいい

なんて、気軽に考えていたら、





あまいexclamation×2

と渇を入れるかのように、

しょっぱなから、成田での飛行機が1時間送れてました雷





成田で、空港の人に、

「コペンハーゲンで乗り継ぎなんです。しかも乗り継ぎ時間は1時間なんですexclamation×2

と、迫ったのですが、空港の人も、

「現地に到着してみないとわからないです。もしかしたら待ってくれるかも知れないし、待ってくれないかもしれないし。」



え”

まったく、この情報社会に、現地に到着しないとわからない、なんて、どういうことですかね。



十何時間後かにコペンハーゲンに到着したのですが、

乗り継ぐはずの飛行機はとっくに出発してました雨



で、空港に人に訴えかけて、

どうにか次の飛行機に乗れるようにしてもらったわけですが、


トロムソに到着できるのは夜中の1時過ぎということになりました。






北欧って、物価が高いって言いますよね。

どれぐらい高いかって、

もう2度と行けないかも、って気分が萎えるぐらい高いですよ。


最初に到達したコペンハーゲンで思い知らされました。


空港で、結構待ち時間もあったし、

コペンハーゲンといえば、パンかしらるんるん

とテンションがあがったので、

2人でサンドイッチとコーヒーを買いました。

これです↓

P1030428.JPG


これ、買ったときはフランの価値の感覚がつかめていなかったのですが、


随分あとになって、計算してみたら、


このサンドイッチ2人前とコーヒー2人前で、

4000円也

でした雷



ちなみに、
オーロラって、ちょうど23時から1時ごろまでが一番良く見えるらしいです。


オスロで乗り継いで、そしてトロムソへ。

飛行気を遅らせたことで、ちょうどこの時間飛行機の上でした。



飛行機からオーロラが見れたらなんて素敵なんだろう、

と思ったのですが、




あまりに、移動時間が長く、

2人とも飛行機の中で大爆睡してしまいました。。


そして、

トロムソは


雪でした。。


P1030430.JPG
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2007年12月27日

背景

そもそも、なぜ北極圏に行こうとしたかというと、

ま、

思いつきだったわけですけどね。




もともとスペインに行こうとしてたんです。

大学のときのペアYと。


彼女とは大学の卒業旅行で一緒にスペインに行ったのですが、

なんとサグラダファミリアのふもとまで行ったのに、

時間切れで上に登ることができなかったので、

その時に、必ずもう一度サグラダファミリアを訪れることを誓い合った仲でした。


で、

去年の秋ごろから、スペイン行き旅行を実現するため、色々計画を綿密に練っていたのですが、

その過程で、スペインに到達するために、コペンハーゲンで乗り継ぐと、

どうもコペンハーゲンで1泊しないと行けないことが発覚して、


それで、

それならばexclamation×2


と思いついちゃったわけです。



なにもしなくても1泊しなきゃいけないんだったら、

せっかくだから3泊して、その間に北に行こうexclamation×2

そして、オーロラを見に行こうexclamation×2と。



で、Yものりがよく快諾してくれたわけで。

今考えると、寒いところが大嫌いで、冬の大会なんか、いつも凍え死にそうになりながら試合をしていたYが、よくOKしてくれたなあ、とも思うのですが。。


ともかく、合意のもと、ちょろちょろっとオーロラが見れそうな街を検索して、


なんか名前がかわいくて、

しかも北極圏にあって、

しかも北極圏にある唯一の大学があって、

しかも最北端のビール工場があって、

しかも最北端の水族館があって、

というのに、惹かれてしまい、


それほど調べる前に、飛行機を取っちゃいました。


ノルウェーの北極圏にある「Tromso」という街です。


一応、地球の歩き方「北欧」の中で、

3ページぐらいにわたって紹介されてますよ。




飛行機を取っちゃったあと、わかったのは、


ノルウェーは、オーロラを見るのにあんまり適していない国だということ。

そして、この時期の北極圏は、ずっと夜だということ。


まあ、それはそれはすったもんだの旅でしたよ。

よく無事に帰ってこれたものです。







そんなことよりも、オダギリジョーが結婚してしまいました。

今日の私は、とてもショックを受けています雨
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2007年07月26日

夏の思い出

http://www.ristorante-a.com/

おいしいイタリアンを出すお店です。

近くに寄られた場合はどうぞるんるん


ゴールデンウィークにこのお店に行きました。

このお店だけを目指して。。




ちょうど5年前のこの季節ですね。(月日がたつのが早すぎて恐ろしいです。。)

卒業旅行で、3週間ヨーロッパへ電車ぷらぷら旅行に行ってました。

その道中、

ローマで途方に暮れていたとき、現地で修行をしていた日本人のシェフの卵に助けられて、その人と、甘酸っぱいひと夏の思い出を作ってしまった友人は(いや、誤解するようなことは何もないですよ。。)、その後も、ずっとその彼と連絡を取り合っていたようで、

彼女から、その彼が日本でイタリアンレストランのお店を開いたということを随分前から聞いていて、

いつか襲撃してみよう、と2人で話していました。

そして、このゴールデンウィーク、

とうとう実行しちゃいました。


私は、まあ、別に甘酸っぱいわけでもなんでもないですが、なんか一期一会をひしひしと感じましたね。

まさか、こういった形で再会するなんて。


ちなみに、

結構すごいところにありますよ。。

このお店。

そして、この杉崎店長。

熱い男です。

なぜ、そんなところで、あえてイタリアンレストランか、是非直接聞いてみてもらいたいです。

語りますよ。


この小浜市、「蘇洞門」という観光スポットがあるので、ほんとに行ってみるのも割りと楽しいと思いますよ。私が行ったときはあいにくの天気だったので、近くまで行くことができませんでしたが。

まあ、そういう時はもう一度行けって事だと思うので、もう一度杉崎店長に会いに行かなきゃならないですね。
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2007年06月15日

手紙

大学のとき、

一番、一緒に組んで勝ちたくて、

一番、負けたくない

親友がいました。



彼女より、強くありたかったです。

でも、やっぱり彼女のほうが強かったかな。


彼女とは、先輩達のように強いペアになるのが目標でした。

だけど、ペアとしては、なぜか、息がまったく合わなくて、敗続きでした。お互い別の人と組むと、意外と良い成績を残していたので、途中からは一緒に試合に出ることすら恐くなっていました。

だけど、私は、やっぱりどうしても2人で勝ちたかったから、4年生の最後のシーズン、私は彼女に一緒に試合に出てくれるようお願いしました。

それは、今思い出しても苦しい苦しい試合でした。

あんなに結果を残したかった試合は、それ以前もそれ以降もありません。そうしないと、本当に悔いが残ってしまうような気がしたから。どんな勝ち方でも良いと思って、私はひたすらロブを打ち続けました。

あのやり方が正しかったのかわかりません。

けして気持ちの良い試合ではなかったので。



だけど、卒業後、彼女から手紙が届きました。

2人で取ったオールが一生の宝物だって。






私にとって、その手紙が一生の宝物ですぴかぴか(新しい)
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2007年06月02日

思い出

私の通っていた大学には色んなテニスサークルがありました。

黒ハート「準体」と呼ばれるボール拾いに命を掛ける「準体育会系サークル」。や

ハートたち(複数ハート)「テニス&スキー」みたいな夏はテニスで冬はスキーよexclamation

みたいな「お遊びサークル」まで様々でした。

そんな中で私が所属していたのは、

揺れるハート準体とお遊びのほぼ中間くらいに位置する中途半端なテニスサークル。でした。。

昔はとてもテニスの強い先輩方がいて、
学内選抜チームに何人も選ばれるほどの栄光時代があったらしいですぴかぴか(新しい)

私たちにとってはあまり関係ありませんでしたが、
サークルの伝統というものは怖いものです雨

合宿になるたびに現れるOB達あせあせ(飛び散る汗)

昼の練習に気合が足りないと怒られがく〜(落胆した顔)
夜の飲み会では飲みが足りないと怒られふらふら

一緒に朝まで飲んでいたはずなのに
早朝のランニングには必ず現れるパワフルな方々でしたもうやだ〜(悲しい顔)

今になって考えると、社会人にもなって毎年、夏に3回も有給を取ってまで
学生の合宿に遊びに来るなんて「相当な暇人か、友達がいないんじゃないか?」

と心配になりますが台風

OB達も熱い青春時代を過ごしたサークルの行く末が心配だったのでしょうぴかぴか(新しい)


こんな熱いOB達のテニスサークルに私が入った理由は、
「ステキな先輩に勧誘されたからムード

というとっても単純な理由でしたるんるん

何も考えずに入ったこのサークルでしたが、
準体育会系に入ってボール拾いでヘルニアになった子や
「先輩の試合の応援は強制参加だから!」と言って授業をサボっていた子をみていると、

私は本当に良いサークルに入ったな黒ハート

と思ったし、

実際サークルの生活はとても楽しかったです晴れ

テニスだけを基準にすると中途半端かもしれないけど、
 テニスの上手い子もいる。
 飲みが強い子もいる。
 イベントを企画したりする子もいる。
というように多種多様な人がいて、
価値観の相違で喧嘩をしたり意見を調整したりもしたけど、

もし「テニスが強くなりたい」という目的だけであったとしたら、
ここまでサークルが楽しかったのかな?と思う。

色んな人がいる。色んな意見がある。

そういった中で「みんなで楽しくやっていくこと」を目的にする。
そういうことが無理なく楽しく続けられる秘訣なのかもしれない。

そして何が言いたいかって。
CBTCもそんなサークルだってことですぴかぴか(新しい)
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2007年05月24日

青春時代

わたしが学生の頃入っていたテニスサークルは、現代社会に珍しく、非常に厳しいサークルでした。

大学に入った頃のわたしは、今どきの若者らしく、敬語すらしゃべれなくて、多分、このサークルに入っていなかったら、結構社会に適合できないタイプの人間になっていたかもしれません。。。

そんなわたしは、サークルに入った頃、


挨拶ができなくて呼び出され、

声だしができなくて呼び出され、

練習中に腕を組んで呼び出され、


今どきの若者だったわたしが、なぜそんなサークルをやめなかったかというと、



そのサークルのテニスが抜群に楽しかったからなんです。

なんていうんでしょう。

とにかくみんな一生懸命で、例えば、仲間の試合を必死で応援するなんて、それまで経験したこと無くて、

わたしは割りと冷めていたというか、それまで、自分さえ良ければ良い的な感じだったので、

結構衝撃でした。

先輩には結構泣かされたし、同じぐらい後輩も泣かせましたが、それは愛情なんだって、愛情がなければ、なかなか怒ったりってできないんだ、ってこともその頃学びました。。

毎年卒業生が後輩達に残す「回顧録」の中で、わたし達の代の多くが書き残した言葉がありました。

「楽しいと、楽するのは違う」




それは、思い返すと、照れくさいくらいの青春だったのでしたぴかぴか(新しい)


posted by CBTC at 22:03| Comment(5) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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